大阪都構想と新型コロナ対応が映し出す日本の地方自治

 2020年の地方自治を振り返ろう.トップニュースは何だろうか.

 色々と頭をよぎるものの,まず,新型コロナウイルス感染症への対応,そして,いわゆる大阪都構想の住民投票をあげることができるだろう.これら二つは,現在の日本の地方自治の姿をよく示している.そこでそれぞれの中身を振り返りながら,地方自治の現状と今後の展望を考えていきたい.

競い合う自治体

 大阪都構想から見ていこう.まず考えたいのは,制度デザインとして,どのようなものが構想されたのかという点である.

 大阪都構想は,これまでの日本の地方自治の理念とは異なる新しい考え方に立つ.それは,自治体間で競争を行うことが,自治体運営の効率化と住民への応答性を高めるという考え方である.同じ程度の規模の自治体が政策を展開することで,住民は相互の比較が可能になる.これは,ヤードスティック競争と呼ばれ,経済学では長く唱えられてきたが,日本の地方自治をめぐる議論では,こうした発想はなじみがなかった.とりわけ基礎自治体については,政治学を中心に,住民にとって身近な存在であることに特徴を求め,住民の参加が強調されてきた.

 競争への志向性は,2020年の住民投票における区割り案において,人口や経済基盤が同程度になる四つの区が設定されたことによく現れている.人口は60から80万人弱,いわゆるキタとミナミという二大中心部に加え,天王寺・阿倍野と新大阪といった副都心に相当する地域をそれぞれ含む四つの区割りとなった.

 第一次の2015年の住民投票では,ここまで方向性は明確ではなかった.7区か5区か,北区と中央区をあわせた区を作り出すか否かが議論されており,区の性格が異なるものとなることや,人口20万人台の区も想定されつつ,最終的に,5区・分離案となった.その方向性をさらに進めたのが今回の区割り案であった.


図1 7区・中央区北区合併案と4区案

資料)大阪市ウェブサイト「大都市制度・これまでの取組み」https://www.city.osaka.lg.jp/shisei/category/3054-1-1-9-3-0-0-0-0-0.html
図)ウィキペディア「大阪都構想」https://ja.wikipedia.org/wiki/大阪都構想

 住民に最も身近な存在であるとともに,同じ地域に住む住民としての一体性が基礎自治体の基盤であるならば,区の数は多く,区の間の違いも大きくなる.その場合,区の性質の違いが,平等であるべき行政サービスの格差を生まないように調整が必要になる.具体的には区の間での財政調整制度である.

 東京23区とは,こうした従来型の基礎自治体観に沿った制度である.ほぼ業務地区に特化した千代田区から住宅地の色が濃い世田谷区や江戸川区のように区の性質の違いは大きい.そこから生じる財政力の違いは都区財政調整制度によって均される.これはある意味では,全国の地方制度のミニチュア版である.都道府県や市町村の規模の違いは大きいが,権限や業務の違いで対応するのではなく,行財政能力を平準化させる形で対応する.そのために小規模な市町村に対しては合併を求めつつも,残る財政力の違いは地方交付税により調整する.これが日本の地方制度の基本的な考え方である.

 大阪都構想は,東京23区と同じ特別区の制度を利用しつつ,従来型と異なる新たな自治体観,いわば競い合う自治体観に沿った制度設計を行った.したがって,区の規模を自立した行政運営ができるよう大きくし,区の性質も同質性が高いものとした.財政調整制度は導入されるが,調整の程度は小さい.むしろ,四つの区がそれぞれに財政基盤を拡充していくことを目指した.


図2 東京23区の税収の差

注)縦軸は税収額(億円).青緑色が区税,赤色が都税.
出典)東京都『東京都税務統計年報(平成30年度版)』「東京都の区域における地方税収入状況」のデータを用いて筆者作成.

 しかし,大阪都構想の新しさは,十分には伝わらなかった.推進者である維新の側も,基本的な自治体観を表に出さなかったためである.確かに,競い合う自治体観に共鳴する有権者も存在するだろうが,それは経済的自由主義を志向する都心部に住む中高所得者層だろう.この人びとはもともと都構想の支持者である.都構想を支持しない人々への働きかけには,この自治体観の提示は有効ではない.むしろ,既存の仕組みの非効率性を指摘しつつ,現行の市よりも身近な区において代議制民主主義が機能することで,住民ニーズに沿ったきめ細かな行政サービスの提供が可能になるという説明の方がアピールできる.従来型の参加型の自治観に沿った改革案の説明が選ばれたのである.

代議制民主主義の論理

 つぎに,大阪都構想には実現後の政治的基盤が欠けていた点を見ておきたい.それは,変革が仮に実現すれば,それは現状よりも多党化を進めることになったからである.その原因は,地方議会の選挙区割りにある.政党政治の形態は選挙制度のあり方に強く規定されるのである.

 日本の地方議会の選挙制度は,戦後初期に決められたものが現在に至るまで用いられている.都道府県議会については,長らく市区(特別区および政令指定都市の区)と郡を基盤としており,現在は都道府県で改変できるものの,過去の選挙区を維持しているところが大半である.市区町村議会については,政令指定都市の場合は区を選挙区とするが,それ以外の市町村と東京の特別区においては,市区町村域全体を一区として選挙を行う.政令指定都市の区は行政区と呼ばれるように,自らは公選区長も議会も持たないのだが,奇妙なことに,都道府県議会や市議会の選挙区にはなるのだ.

 大阪の場合,大阪市の行政区が24と政令指定都市の中で最も多い.したがって,大阪府議会は定数88を55の選挙区から選出しており,小選挙区制の性格が強い.大阪市議会も定数は2から5で,市区町村議会としては選挙区定数が極めて小さい.このことは,大阪府議会と大阪市議会において政党の数を減らし,大政党が有利になる傾向をもたらす.有権者が死票を避けようとし,政治家の側もムダな落選を避けようと候補者数を調整する結果,政党の数は選挙区定数に比例して増える傾向があるためである.

 したがって,特別区への移行が行われた場合,特別区の定数が大幅に大きくなるだけではなく,大阪府議会における選挙区の減少と選挙区あたりの定数の大きな増加も生じる.そのことは,多党化をもたらす要因となるだろう.現在は維新が第一党であり過半数を握っているが,新たな特別区や大阪府議会では,第一党は議席を落とすことになっただろう.その意味では,都構想とは政治勢力としての維新にとっては不利な案だった.

 それは,大阪市の権限のうち都市計画やインフラ整備などの権限を大阪府に移し,都市成長を推進するという構想の政治的基盤は確保されていなかったということだ.大阪府としてインフラ整備などを行う際,ウエイトを大阪都心部に置くのか,それとも大阪府内の周縁部に置くのか,それを決めるのは,府知事と府議会である.府議会において府議会議員が市区を選挙区として選出される限り,地元利益を優先することは当然である.大阪市の人口は大阪府全体の3割ほどであるのだから,大阪府議会の決定が都心部への集中的投資をもたらすものにはならないだろう.

 大阪市の昼夜間人口比率は1.3を超え,東京都区部を上回り全国で最も高い.住民でなくとも,通勤・通学している人びとも,たとえば市道を歩き,水道を利用し,ゴミを出す.大阪市の行政サービスは周辺へとスピルオーバーしている.こうした実態としての都市圏と行政区域のズレを解消することも,都構想の目標の一つであった.ここで,より広域をカバーする大阪府に権限を移すことは,確かに行政の仕組みにおける解決策の一つである.しかし,政治の論理は異なる.現行の議会の制度では都心部への集中的投資は選択されないだろう.

 代議制民主主義のあり方に手をつけないまま,権限配分の変更だけで問題を解決することはできない.都構想が仮に実現していたとしても,代議制民主主義のあり方から来る制約からは逃れられないのである.

基礎自治体の規模

 ここまで見てきた大阪都構想をめぐる論点は,新型コロナウイルス感染症への対応においても,実は共通するものだった.都道府県と市町村の役割分担という問題と,公選政治家の行動原理と行政の仕組みの衝突という問題である.

 まず,都道府県と市町村の役割分担から見ていこう.福祉をはじめとする対住民サービスの多くは市町村で担われているが,保健所による衛生サービスや医療供給体制の整備は都道府県を中心とする.医療サービスの供給単位となる二次医療圏は複数市町村にまたがる形で設定されており,保健所もそれに沿う.ただし,政令指定都市と中核市,そして特別区は自前の保健所を持つ.

 つまり,感染症対応のような専門性の高い衛生業務を担うには,中核市程度の規模が必要となる.中核市の要件は人口20万人であるが,県庁所在地以外の多くの中核市は人口40万人程度かそれ以上である.かつて全国を300の基礎的自治体に再編し,都道府県を廃止して二層制とする構想が示されたことがある.300という数字に根拠が示されていたわけではないが,それは人口40万人程度に相当する.実際,現在の二次医療圏の数は335である.

 大阪都構想において,人口60万人程度で中核市並の権限を持つ特別区が示されたことも,ここでの議論は符合する.現在の行政サービスにおいて,住民に関係が深い分野を,専門性が高いところまで含めて担うには,中核市程度の規模が必要になる.

 だからといって,さらに市町村合併を行うことを主張したいのではない.少なくとも,全国的にアメとムチを使って合併を推進する明治,昭和,平成の大合併のような方法は,望ましくもないし不可能だろう.しかし同時に,合併を行おうが行うまいが,二次医療圏に見られるように,公共サービスの性質それぞれに応じて,必要となる一定規模が存在し,それぞれに応じた範囲設定が行われるという事実は変わらない.

 自分の市町村を知らない人はいないだろうが,自分の二次医療圏が何か,それがどういった範囲かを知る人は少ないだろう.市町村がフルセットで公共サービスを担わないことは,それだけ住民の関心から離れ,目が行き届かなくなることでもある.合併を行わなければ,連携をとっていきながらの対応を重ねていくことになるだろうが,そこでいかに人々の目から隠れてしまうかを防ぐかが,今後の制度設計の鍵となる.


図3 二次医療圏の例(関東地方と四国地方)

出典)(株)ウェルネス『二次医療圏データベース』

自治体間連携の隘路

 感染症への対応においては,とりわけ知事への注目が高かった.上述の通り,都道府県が衛生保健・医療提供体制整備の中心ということがある.日々,都道府県を単位として感染者数,死亡者数が報道されることから,人びとが都道府県の状況を意識することが強かったこともあるだろう.知事の対応の比較や評価が様々な形で行われてきた.

 しかしここで注目したいのは,知事の間での連携があまり見られなかったことである.隣接する都道府県間で,また知事と市長などとの間でも,協調よりも対立的な関係が見られることも多かった.お互いの行き来の自粛をめぐる対立や,対応策の遅れなどへの批判が散見された.選挙によって選ばれる首長としては,有権者の意向は無視できない.多くの人びとが未知の感染症に恐怖感を抱き,その拡大の一因となり得る感染拡大地域との移動に敏感である際,そうした感情に沿うことを示す首長が出てくるのは,理解できないことではない.

 このため自治体間の協力関係の構築は低調である.これはこれまでの日本の地方自治体には見られなかった光景だ.日本の自治体は日常的に情報共有を行い,水平的な連携をきめ細かくとるところに特徴がある.災害時には被災地の自治体に対して,全国の自治体から様々な支援が提供されてきた.災害大国を支えてきたのは,自治体間の水平的連携とすらいえる.しかし,新型コロナについては,どのような形で感染が拡大するかが読めず,被災地とそれ以外を分けることができる自然災害とは異なる.そのために,余力があるように見えても,他の自治体住民のために希少な医療リソースなどを提供することへの抵抗が生じてしまう.

 さらに,感染症が長期化し,感染者の何度かの波を繰り返す中で,感染サーベイランスの体制整備や医療リソースの確保を進めたところとそうでないところの差が生じていく.当初は想定外の感染症の拡大だったとしても,その後,どれだけこれに対応を進めるかは,首長や議会の姿勢によって変わってくる.保健所の体制を強化し,医療従事者や病床の確保という手間暇も金銭も要する努力を払ってきたところが,そうした努力を払わないところを助けることに引っかかりを覚えるのは当然だろう.

 知事をはじめとする政治家は人びとの考えを無視できない.新型コロナへの対応においては, 人びとは他の地域を助けることに支持を与えていない.行政組織として日常的には連携をとっているとしても,政治の論理はそれを上書きする.自治体間連携もまた,代議制民主主義の下にあるものなのである.

今後の20年に向けて

 こうして改めて考え直すと,2020年の新型コロナウイルスと大阪都構想とは,現在の日本の地方自治が抱える限界や問題点を浮かび上がらせるものであった.そして,地方分権改革が実施されてほぼ20年が経過した.地方政治のダイナミズムが高まり,首長のリーダーシップが高まったことは,地方分権の帰結の一つである.他方で,大都市問題と選挙制度の問題は,地方分権改革を経てなお残る課題である.

 改革の成果を生かしつつ,残された課題に取り組むことが行えるか否か.少子高齢化と人口減少の進展という避けられない傾向がさらに加速する今後20年間を乗り越えるためには,改革のための改革ではなく,目標と効果を明確化した改革が必要となる.競い合う自治体か,財政調整が支える自治体か,それともそれ以外か.基本的な自治体観が改めて問われている.


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